オタキングexに入ってみたよ

岡田斗司夫氏のオタキングexに入社してみました。
なんのことだか分からない人はこちらを参照。
http://otaking-ex.jp/wp/

自分なりに少しかいつまんで説明すると、つまり社員が社長である岡田氏に「月に1万円の給料を払って、岡田斗司夫と仕事をする」という会社。100人社員がいれば、岡田氏のもとには月に100万円が入る。そして岡田氏の会社設立の目的は「人類の苦痛の3%を軽減する」である。exはエキスパンド(拡張)を意味し、ひとつで「会社」「学校」「家庭」の役割を担う。さらに現在の貨幣経済の転覆を狙って、評価経済へと移行させる。そのため岡田氏は今後は基本的に自分のギャラは全てフリー(無料)にし、著作物も無料で配布する。

しかし厳密に言うとオタキングexは法律上の会社ではないので、会社という名称を使うのは間違っている。もっと「ファンクラブ」とか「友の会」とか「塾」とか、会費を取るのが当然の組織の名称にすれば波風が立たずに済んだものを「なぜ“会社”という名称にこだわるのか」というのを、会社設立前の岡田氏に問いただしたことがあった。その時岡田氏はそれについてあまり理屈立てての説明ができてなかった。でも「自分のいまやりたいことを表現するのには、どうしても会社という名称を使わなければならないんだ、例え誤解されるリスクがあっても」というようなことを言っていた。

ただ自分にはそんなことはどうでもよかった。だって最初から岡田氏は入社したからといって、金銭的なメリットはゼロであると言っていたし、集まったお金は全部自分が「岡田斗司夫らしく使う」と明言していたので、もし法律上の会社だつたら発生するようなお金の見返りなんてはなから期待していない。

で、もともと自分は長い間編集者として岡田氏の担当だったので、わざわざオタキングex.に入らなくてもこれからも一緒に仕事はできるのだが・・でも逆に編集担当として、岡田氏がこれから新しいことを始めるのにそこに自分がいないというのもイヤだったので、入社した。

巷ではサギだとか宗教だとか言っている人もいるけれど、本当に「大ぼら一代」なのか。そして岡田氏がこれからどうこの組織をマネジメントしていくのかを実際に自分の目で見たいというのもあった。入ってないと共通の話題もないからね。

というわけで、これから何回かにわたって「入社してみてどうだったか」を書いてみたいと思います。

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次世代メディアのセミナーに行って来たよ

ライブドア主催の「雑誌サバイバル時代の次世代ターゲットメディア戦略」というトークセッションに行ってきた。パネラーの中に『フリー』の監修者、インフォバーンの小林弘人氏がいたからだ。いま雑誌に変わる次世代メディアのことを語らせたら、小林氏がいちばんおもしろいと思ってる。

音楽業界でレコードやCDなどのパッケージメディアが激減したのと同じように、雑誌というパッケージメディアも激減することは間違いない。でも音楽がなくならないのと同じように、テキストや写真をメインとした情報データもなくなることはない。多分だんだんとテレビに近くなるのかな。ここがおもしろい。近年のテレビはテロップ技術の進化によりどんどんとテキストとしての情報を増やしてきている。電子出版では今後動画や音をどんどん混ぜてくるようになると思う。両者のそれぞれのマイナス点を取り入れ出す現象だ。

さて、小林氏の言ってたことで興味深かったことをひとつ。要旨をまとめると「紙の雑誌は完成形であったが、WEBは永遠のβ版だ」ということ。このことから分かるように、紙の雑誌作りの感覚や固定観念のままWEBに取り組むと大けがをすると思う。


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危険水域

ついに内閣の支持率が危険水域と言われる20%台に突入した。もちろんあれだけ連日のごとく迷走ぶりを見せられていたので、こうなるのは時間の問題だった。
首相はことごとくその場しのぎのウソで国民を裏切ってきたのだから、普天間の責任を取って退陣する以外にないだろう。
実は政策の間違いなんかよりも、ちょっとした言動とか表情とかにみんなイライラするんだよね。
例えば「友愛の精神で」とか。
例えば「いのちをだいじに」とか。
例えば「この批判は鳩山ガンバレと受け取っています」とか。

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紙はムダなのか?

この前書店に行って感じたのだけれど、四方八方に囲まれた本と雑誌の山がなんだかものすごくムダなものに見えてしまった。
“ムダ”だなんて雑誌に携わっているものとして、自分自身ものすごくショックだったのだが、感じてしまったことは仕方ない。要するに情報の内容がとにかく全〜部プリントアウトされた紙の束に見えたのだ。
紙の束は「読む読まない必要必要でない」など一切考慮せず、とにかく全ページプリントアウトしましたという結果に映ったのだ。
小説などは別として、時事ネタや最新ニュースはここんとこほぼデジタルで仕入れているから、意識がもうそっちが基準に思えるように自分の中の常識がシフトしてしまったのだろう。

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新聞コメントについて

唐沢俊一検証blogで、唐沢氏の朝日新聞へのコメントについて検証がされていた。
http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20100209/1265676326
「自分フィギュアに注文殺到」という現象について、フィギュア文化に詳しい唐沢氏が「自己愛の強い世代が大人になり、不況などで思い通りにいかない現実のなかで、『幸せな自分』『理想の自分』を偶像化している」といったなんとも眠くなるようなコメントを寄せている。どう眠いのかというと、ゲーム好きの引きこもりが犯罪を犯した時のよくあるコメント「ゲームばかりやっているうちに虚構と現実との区別がつかなくなったのでしょう」というくらい退屈で凡庸なレベルだ。
 元フィギュア専門誌の人間から言わせてもらえれば、自分フィギュアなんて単なる似顔絵の立体バージョンでしかない。ただの珍しさで受けているだけで、昔から自分の姿を似顔絵で残したいという層は一定数存在している。ライダーの「自分魂」はこれは熱心なライダーファンが買っている、それだけだ。
 しかし、新聞を作っている側からするとそれではダメなのだ。そんな盛り上がらないコメントでは記事にならない。こういうコメントをした人がいたらまず採用されないし、二度と依頼は来ないだろう。この場合の新聞的正しい回答は眠くなるような唐沢氏の方のコメントの方だと思う。但し唐沢氏が新聞といういまや年寄りしか読まないような媒体の特性そこまでを計算してコメントしていたかどうかは分からないが。でもそうだとしたら「あいつあんな眠いコメント寄せてる」とみんなに思われてイヤだろうけど。
 ただ新聞からしたらこういう人は便利なんだなと思う。取材依頼に対していちいち「企画書出せ」とか「校正はいつだ」とかうるさいこと言わない(多分)だろうから。大抵の場合、電話でのコメントって自分の全然意図してない発言だけを抜き取られそこだけ使われてしまうことが多い。だからまともな人はコメント取材ってあまり受けないんだよね。

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新聞読まなくなったなあ・・

ここ数日の小沢報道を見ていると、やっぱりマスコミってとてつもない権力なんだなあと思った。
ボブ・ディランもかつて言った「30歳以上は信じるな」だが、今なら「新聞・テレビは信じるな」だ。

どんなことにも両方の意見があって、いちばんいいのはその相反する意見を十分に集めて吟味して、その上で自分なりの結論を出すことだ。今はインターネットがあるから簡単に集められるはず。手間を惜しまないでほしい。

ぼくがとてもイヤだなあと思うのは、新聞やテレビなど報道関係者の思い上がった取材態度だ。彼らは「報道は全てに優先される」とでも思っているのだろうか。いろいろな現場で「オレ報道だよ」といった記者やカメラマンのエラそうな態度を何度も見てきた。昔NHKが「ゆく年くる年」で、どっかの寺の静寂な感じを出したいという意図で、一般参拝客をTV中継が終わるまでシャットアウトしていた事件があって、NHKは陳謝したことがあった。

マスコミ、とくに報道の人間には、鼻もちならないエリート意識のある人間が多いように感じられる。自分たちが一般大衆をリードしているという意識が強いのだろうか。それは雑誌を作っている人間たちの「これでブームを起こしたい」といった「自分たちがおもしろいと思ったものを流行らせたい」といった欲求とは違うのものだ。新聞もテレビも読者、視聴者を一段下だと思ってる。でもなきゃあんな論調で語れるわけがない。ぼくのPCのヨコには開かれもしないで日々溜まっていく新聞が山積みになっている。

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新聞なんて読んでるの?

小沢一郎と検察の闘いが引き続き熱い。三大新聞は反小沢一辺倒だ。
しかしこういう「右へ習え」の報道になぜもっとみんな疑問を持たないのか。
戦争中のことは知らない人は大勢いるだろうけど、ちょっと前の小泉劇場はみんな覚えているだろう。あの時も熱病のように、誰もが「コイズミ、コイズミ」だった。かくいう自分も「小泉いいなあ」と思考停止に陥ってしまった口である。だからさすがに今回は「ん・ちょっと待てよ」と思う。

だいたいなんで無条件に検察を「正義」と決めてしまうのかが分からない。
検察は取り調べの可視化が困るから、つまり自分の既得権を守るために動いているのでは。
もちろんその中には「可視化なんて許してしまったら、落ちる犯人も落とせなくなる、それは社会秩序維持にマイナス」という検察なりの正義も含まれているだろう。だけどやっぱり強烈な組織防衛なんだよな。

それに比べると新聞は記者クラブを開放させたくないだけのものすごい利己的な理由しか見えてこない。これは酷い、既得権益にしがみついてる以外の何ものでもない。だからこのごろはもうあまり新聞は読まないようにしている。

「新聞も読まないのか!」から「新聞なんて読んでるの?」になる日が来るといいな。

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がんばれ小沢一郎

毎日「小沢vs検察」の闘いが新聞やテレビで報道されている。
大手メディアのほとんどは検察よりで、その結果小沢一郎及び民主党の支持率が日に日に下がっている。
でも何かおかしい。ぼくは新聞、テレビの言っていることは基本的になんでも疑ってかかる。新聞は戦争中に国の手先となって国民の戦意を煽って来た過去がある。あの時はテレビはなかっただけで、もしあったらテレビも率先して新聞と同じことをしてただろう。

民主党は「取り調べの可視化」と「記者会見の開放」を目指している。どちらも検察や新聞にとっては都合の悪いものだ。だからグルになって民主党を潰そうと画策しても不思議ではない。

ぼくは新聞の中立性なんか全く信じてないし求めてもないから、新聞が自分たちに都合のいいように記事を書くのは全然気にならない。ただそれに惑わされてはいけないと思っているだけ。

検察も独自で動くのは三権が分立している証拠だから、それも仕方ないと思っている。

必要なのは、一時情報だけで判断しないで、独自の洞察力でニュースの背後に隠されている真相を理解ろうとすることだと思う。どっちにしろ絶対的正義なんかない、両方の立場で言い分はあるのだから、自分はどっちがいいと思うかだけだ。

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NAVI 休刊で思うこと

『NAVI』が来月で休刊する。以前から「広告主導タイプの雑誌はもう限界」と言っているのでとくに驚いてはいない。
部数的には、経済クラッシュの前からこういったライフスタイル誌はジリ貧のものが多かった。そりゃそうだ、あれだけ毎月毎月提灯記事ばかり書いていれば読者だってうんざりするに決まっている。
だけど、作り手側から言えば提灯記事でないと商品を貸してくれないのだから、それがないとページが成立しなくなる。その代わりメーカー側も「広告出稿」というカタチできちんとケツを持ってくれてた。
この関係が崩れれば成り立たなくなるのは当然だ。
クルマ雑誌はさらに「若い世代のクルマに無関心」という要素が加わってもっと深刻だ。これも仕方ないよね、メーカー側は将来の顧客である若い世代を、クルマが好きになるように育ててこなかったんだから、「嫌消費世代」を作ってしまったんだからそのツケが来始めただけ。
「若者はいつの時代でもバイクやクルマに興味を持つもの」と思ってでもいたのかな・・

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“ぱちんこCR両さん”を熱望する

ここ数年(もっとか)パチンコ台へのアニメ・特撮・タレントキャラの使われ方がすさまじい。
本人拒否以外のキャラはほぼ出尽くしたと言っていいと思う。いまメジャーなもので台になってないのは、OKが出ないものだけだろう。

いつも思うのだけれど、なぜ『こち亀』のバチンコが出ないのか。もちろん作者がギャンブルに対するマイナスイメージからキャラを守っているのだろうけれど、『こち亀』はとくに少年漫画だし。そんなことは分かっている・・

だけど、両さんの場合はもし本当にキャラのことを考えているならば、イメージを大切にしているなら絶対パチンコにする“べき”だと思う。どれだけプラスになるか。これだけ連載が続いているのだからもっとキャラに一人歩きさせてほしい。もしやるなら両さんをメインに寺井、戸塚、冬本、中川、麗子、部長、洋子ちゃん、日暮、丸出ダメ太郎ぐらいの初期メンバー中心がいいなあ。

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