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2009年11月

校正と校閲

前回の続き、ライターから送られた原稿がどうなるかだ。
原稿が送られてくると、まず担当者が目を通す。その時点で大まかな内容の確認(注文と合っているか)と文字数の確認をする。
それから校正をするわけだが、大抵は「てにをは」のチェックや変換ミス程度のチェックしかしない。あとは差別用語のチェックかな。
なんでかというと、まず「書いてある原稿にウソや間違いはない」という思い込みの前提があるからだ。「だってこっちはそのために金払ってるんだから、いくらなんでもきちんと調べてるでしょ」ということだ。さらに博識の唐沢氏の原稿にガセがあるなんて思ってもいなかった。つまり最初から校正だけで、そもそも校閲をしようとはしていないということだ。校閲の目で読んでない。だから仮に(いや、仮じゃないか)「ロバート・ケネディ大統領」という文字が出て来ても校正の目だとスルーしてしまう。だって字としては間違ってないから。
『フィギュア王』のワールドフォトプレス社は雑誌ということもあるが校閲は通してない。編集部で回し読みして、読んだ人がサインして、サインが3つになったら「3人が目を通した」ということでそれで終わりだ。(現在は分かりません)編集部の中には校正を適当に流してる「ザル」と呼ばれる者もいて、単純な変換ミスさえも見逃してしまうこともよくあった。こんなだからガセの発見なんて夢のまた夢である。
これが中堅以上の版元になると、校閲も通すようになるからガセの確立はぐんと減る。ちなみに『新UFO入門』は校閲通してます。唐沢氏の原稿にガセが多いのは、弱小出版社が校閲を行っていないのが原因のひとつだ。校閲はそれだけでプロの職業として成り立っている仕事で、比べればはるかに知識の乏しい編集者に校閲を望むのは無理だ。しかし、これでも、校正、校閲が完璧に行われたとしても盗用を見抜くのは不可能だ。盗用した文章に間違いがなければどっちの目にも引っかからないのである。検証班氏のように、最初から「何かあるのでは」と疑いの目で調べていかないとダメだろう。検証班氏が凄いのはその校正・校閲・盗用チェックの作業を、それもあのスピードで行っているというところだと思う。彼の検証作業を「素人レベルでもこれだけ出来るのに」などと言ってはいけない。アタマの中に相当に蓄積されたデータと校閲のセンスがないとなかなかあそこまでの検証はできないと思う。少なくともそのへんの編集者には無理でしょう。

というわけで、このようにしてガセやパクリの原稿が出版物となり世に出てしまうのである。

さて、そんな中でも実は早くから唐沢氏のガセを指摘していた人物がいた。それは友人でもある町山智浩氏である。
以下は2000年ごろの自分と町山氏との会話だ。印象的なやりとりだったので忘れていない。
町山「あのさ、唐沢のこといつまで使ってるの、あいつの書いてることってガセばっかりじゃん」
額田「そうなの? オレ気がつかなかったけど」
町山「だってあんなウスいヤツいないぜ」
額田「それってさ、町山さんが濃過ぎるんだよ。町山さんから見ればどんな人だってウスイって。とくにうちの雑誌の場合は濃過ぎては逆にダメなんだよ。そういうのを分かってて唐沢さんは書いてる部分もあると思うよ」

当時は柳下氏と唐沢氏とのケンカがあったので、そのへんの恨みもあり、こんなこと言うんだろうと思っていた自分のマヌケさ加減が恥ずかしい限りだ。結局自分にはガセを見抜くことはできなかった。


ところで、今日、唐沢氏の担当編集者の一人とコンタクトを取ることが出来た。
想像以上に唐沢氏の業界内での評判が悪いことに驚いていた。「そんなこととっくに分かってたんじゃないの?」と言いたかったが、担当ですらこれだから、まだまだ唐沢氏の置かれている状況を知らない人はたくさんいるのだと思う。

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原稿を発注する理由

ネット流行語大賞2009の銀賞は「どうしてこうなった」だが、しみじみとこう思っている人はいるだろうなあ。

さて、自分は編集者なので一連の唐沢氏の件を編集者の立場から「どうしてこうなった」と考えてみたい。但しあくまでもこれは個人の意見だから、他の編集者にも当てはまるわけではない。自分は自分なりの立場から過去の反省をこめる意味でも問題発生の過程を報告しようと思っているだけだ。

まず気のせいかもしれないが、最近「編集者は何やってたんだ」という意見がなんとなく増えてきたように思える。上がって来た原稿に最終的にオーケーを出すのは編集者なんだから、何度も書いてるが責任は重大だ。これについては唐沢氏も「オレばかり責めるな」と少しは言ってもいいと思う。ただ逆に原稿がよかった場合も、どんなに編集者のサジェスチョンがあったとしても編集者はあくまで黒子で、書き手が「素晴らしい」と賞賛されるわけだから、悪かった場合も比重としては、書き手の方が多く責められるのは仕方ないと思うけど。

話がそれた。「どうしてこうなった」かだ。まずよく話題になっている「なぜ編集者は唐沢氏に仕事を出すのだ」という質問に対して。雑誌の場合だが、唐沢氏は編集者からすると非常に頼みやすいライターだったと言える。それはなぜか。

まず基本的に仕事を断らない。知名度のわりにはけっこうスケジュールがタイトでも書いてくれた。どうしても本をある程度の数出しているライターだと、ライターというよりは著者という呼び方になり、編集部内での扱いもランクが上がってくる。小さく「Text by Hisanori Nukada」なんてよりも、もう少し大きい字で「文・唐沢俊一+プロフィール200字」なんてのが格が上だ。そうなると「このスケジュールじゃ頼み辛いな」ということになる。でも雑誌はいつも時間はないから「ちょっとここは署名原稿が欲しいな」という時に仕事を断らない唐沢氏は実に都合がよいのだ。実際、唐沢氏と同じくらいの知名度の作家の場合、締め切りがタイトだと断られることも多々ある。

第二に、ジャンルが限定されない。オールマイティに何でも書いてくれた。

第三にギャラのことで文句を言わない。自分は原稿料のことで唐沢氏から文句を言われたことは一度もなかった。大手ではない出版社だったので、高い原稿料は払えなかったにも関わらず。

第四に、話が早い。電話で「あーそういう内容ね、はいはい」とすぐ済む。

主に以上のような理由から「困った時の唐沢さん」という感じで原稿を頼んでいたことが多かった。あとは連載のコラムもあったけれど、これはもっと簡単で締め切りを毎回メールするだけ。編集者は何かと雑用が多くよく分からない忙しさで、こういう言わば「手のかからない書き手」というのはとても重宝していたのだ。しかし振り返ってみると、実に自分はラクをしようとしていたんだなと感じる。その根底にあるのは「知らない人だとなにかとめんどくさいから頼みやすい人に頼んじゃえ」という安易な考え方だったのだ。それを「時間がないから」という言い訳で肯定していたのだった。

次回は問題の核心、原稿がアップした時の編集部内でのチェックシステムについて書いてみたいと思います。と言っても凄い重大な秘密があるわけではないが。

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ネタの使い回しについて

検証班氏がブログの中で、唐沢氏のネタの使い回しについて書いている。
http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/

この件について編集者という視点から見ると今回はまあ・・悪いとは言えない。通常の場合原稿に関しては「未発表のもの」というのが条件であるが、ネットにUPされている本人の毎日の日記は、これには相当しないと考えられる。
おそらく唐沢氏からしたら、日記の記述はコラム用のネタのメモ書き程度の位置づけなんだと思う。ネタを出す時に「今月は何があったかな」と読み返してテーマを決める。事件を見て感じたことなんて、すぐに書いとかないと忘れてしまうから、そういう意味ではメモ代わりの日記から書き足して原稿にする作業は理解できなくもない。

しかし、これを読者への気遣いという点から見るとどうか。例えば雑誌においては「抜き刷り」と言って、記事のある部分だけを別に印刷して販促用とかで配ることがあるのだが、編集部ではその解禁を次の雑誌が発売されてからにしてもらっている。つまり12月号に載った記事の抜き刷りを配るのは1月号が出てからということだ。これはお金を払って買ってくれた読者への配慮である。自分が金を出して買った情報が一部とはいえ無料で配られてたらイヤだもんね。実際検証班氏も「がっかりした」と書いている。

だから唐沢氏も無料の原稿を有料の原稿より先に出してしまうのは、有料で読んでいる読者への配慮が足りなかったと思う。その人のファンであれば、大体はその人の他の原稿も読んでる確立は高い。ましてや無料で読める日記なんてかなりの数が読んでると思わなきゃ。いくら自分の文章であってもコピペはよくないです。

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直せない原稿なんてない

先日の唐沢氏に関する日記「そんなに迷惑でしたか・・」について、同業者から何通もメールをもらいました。その中には永山薫氏がTwitterで
>額田氏は善くも悪くも「絶対的に担当している著者を守る」編集者だった。
と書いていると教えてくれたメールもあった。ある程度のこうした反響があったので、このことについてもう少し書いてみようと思う。

永山氏には、自分が『フィギュア王』時代に、唐沢氏がコラムで永山氏の著作を出典を明記せずに引用したことで謝りに行った記憶がある。けっこう怒られたなあ。「なぜ唐沢は来ないのか」と詰め寄る永山氏に「この件は明らかに編集者のミス、だから自分が来た」と説明する一連のやりとりの中で「そりゃあ編集者は著者を守りますよ」と確か答えたことを覚えてる。今から10年以上も前の出来事だけど、でもこの考え方は今でも変わってない。ただ「守る」ということの意味は、何が何でも北朝鮮的に「先生様マンセー、アンチがこんな誹謗中傷をしているのであります」ということでないのは説明するまでもないだろう。

ところで、残念なのは唐沢氏の編集担当者からのアクションが何もないことだが、でもこれは理由が二つ考えられる。主な理由と思われるのは自分のこの発言をみんな読んでいないということ、つまり「そんなブログなんて知らねえよ」と。もう一つはサラリーマンなので、発言が制限されている、ということ。いま「仕事の内容に関して無断で外部に発信するな」ってうるさいから。自分のこの発言を「勇気あること」と評してくれる人がいて嬉しかったけれど、自分は現在フリーの編集者。何を言ってもそれで会社から怒られるということはないので、立場が同じではないよね。

でも今回の件は「編集者の仕事、その範囲、立ち位置」というものについて、自分の中でいろいろ考えさせられるいい機会となっている。編集者は例えどんな大先生の原稿であっても“直す権限”を持っている。直せない原稿なんてない。だからやっぱりその結果についても責任を持たないといけないし、上がった疑問や指摘に関して黙秘権はダメだと思う。

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犯罪者は沖縄に逃げる

この前『夕刊フジ』を読んでいたら「犯罪者はなぜ沖縄に逃げるのか」という記事があった。最近の市橋事件を題材にしたものだったが、他の例としてライブドア事件で自殺したエイチ・エス証券の野口さんのことも書いてあった。
理由としては、沖縄が見知らぬものでも簡単に受け入れてくれる土地柄ということや、繁華街があるので働き口も確保しやすいなどがあげられていた。
うーん、なっちょらんと思う。
高倉健の映画で育った自分としては、犯罪者は北に逃げるものだと相場が決まっているではないか、と思う。「北へ」と小林旭だって唄っているし。やっぱり日本の美の「型」としてぜひとも北へ向かってもらわないと。Ken

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無料ジーンズ

ユニクロの柳井正がジーンズ価格戦争について冗談で語った「最終的には無料になるんじゃないか」のひと言はものすごく深い意味を持った言葉だと思う。
広告が入ることで無料でも成立するテレビやフリーペーパー、または宣伝費と割り切って客寄せで提供するマックのコーヒー、そして試供品として配るサンプルとも違って、シーンズでタダなんて基本的にはありえないんだけど、でも底知れぬ凄みを帯びている。
ファッション業界はいま悲鳴を上げている。暖冬もありアウターがさっぱり売れないのだ。セールのタイミングをどうしたらいいかみんなアタマを抱えている。

ジーンズメイトは10月の4日間、リーバイスなどのブランドジーンズを大阪と広島で毎日100着を無料配布した。
http://www.business-i.jp/print/article/200911230016a.nwc

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フィギュア王で書きました

11月24日発売の『フィギュア王』No142で第一特集の構成・文をやりました。
「鬼娘見参!」というタイトルで天才原型師BOME氏の新作や活動について書いてます。820005_3

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そんなに迷惑でしたか・・?

唐沢俊一氏が自身のHPに、短期間に同じような内容の日記を続けて発表していたので心配になって「記憶障害か何かでは」というメールを出したら「迷惑なこと」と書かれてしまった。
http://www.tobunken.com/diary/diary20091120115617.html
ご存知の人もいるかと思うが、唐沢俊一氏は盗用問題や記述の間違いなどを複数のサイトで検証されている。これの是非や真偽は別として、本人にとっては相当のストレスであることは間違いないと思う。なので、そういった理由から「もしかして脳にかなりの負担がかかってしまっているのでは」と心配したことがそんなに迷惑なことなのだろうか。

自分には専門知識はないが、脳の不調の初期段階って本人が気づいてない場合が多いと思う。周囲が「あれ、ちょっと変だぞ」と病院に連れて行って初めて病気が発覚して「早目に気づいてよかったね」となったという話も聞いたことがある。ましてや少し前に入院までしているのだから余計に心配したのだが、それがそんなに迷惑なのだろうか。もしこれが自分だったら「大げさな人だなあ」とは思うかもしれないけれど、迷惑だとは思わない。
唐沢俊一検証blogという、唐沢氏の過去や現在の仕事を検証しているHPがある。
http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/
ここでは自分が過去に担当した仕事も検証されているのだけれど、読んでみると確かに納得できる、「ああ自分のチェックが足りなかったな」と。本になった時の原稿に対する責任は編集者にあると思っているので、そういった反省も含めて、今後の仕事をしていくジャンルとして唐沢氏には「誰もがネットで絞り込んだ情報にアクセスできるとなった今は、雑学というスタイルはもう変えた方がいいのではないでしょうか」「周囲にとりまきを置いているのはよくないのでは」と自分の意見を言ったことがある。また今回のやりとりの中でも唐沢氏には「悪意があるかないかは別として、検証班のブログには正しいことが書かれている」と言うことを伝えた。それらが気に入らなかったのだろうか。

ここからの話は唐沢氏でなく同業の編集者たちに向けてなんだけど・・
編集者としての現在の自分の考え方は、以前に友人である町山智浩氏が言った「こんな男の妄言を出版し、物書きとして生活させてしまった編集者たちは社会的責任を取るべきじゃないの?」に賛成だ。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20081110
感情的な誹謗中傷は別として、これだけ長い期間、いろいろな人から疑問や指摘のある原稿を発表し続けているのだから、自分を含めた編集担当者たちはこの件についてどう思っているのか、それらの指摘に答える義務があると思う。

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