書籍・雑誌

次世代メディアのセミナーに行って来たよ

ライブドア主催の「雑誌サバイバル時代の次世代ターゲットメディア戦略」というトークセッションに行ってきた。パネラーの中に『フリー』の監修者、インフォバーンの小林弘人氏がいたからだ。いま雑誌に変わる次世代メディアのことを語らせたら、小林氏がいちばんおもしろいと思ってる。

音楽業界でレコードやCDなどのパッケージメディアが激減したのと同じように、雑誌というパッケージメディアも激減することは間違いない。でも音楽がなくならないのと同じように、テキストや写真をメインとした情報データもなくなることはない。多分だんだんとテレビに近くなるのかな。ここがおもしろい。近年のテレビはテロップ技術の進化によりどんどんとテキストとしての情報を増やしてきている。電子出版では今後動画や音をどんどん混ぜてくるようになると思う。両者のそれぞれのマイナス点を取り入れ出す現象だ。

さて、小林氏の言ってたことで興味深かったことをひとつ。要旨をまとめると「紙の雑誌は完成形であったが、WEBは永遠のβ版だ」ということ。このことから分かるように、紙の雑誌作りの感覚や固定観念のままWEBに取り組むと大けがをすると思う。


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NAVI 休刊で思うこと

『NAVI』が来月で休刊する。以前から「広告主導タイプの雑誌はもう限界」と言っているのでとくに驚いてはいない。
部数的には、経済クラッシュの前からこういったライフスタイル誌はジリ貧のものが多かった。そりゃそうだ、あれだけ毎月毎月提灯記事ばかり書いていれば読者だってうんざりするに決まっている。
だけど、作り手側から言えば提灯記事でないと商品を貸してくれないのだから、それがないとページが成立しなくなる。その代わりメーカー側も「広告出稿」というカタチできちんとケツを持ってくれてた。
この関係が崩れれば成り立たなくなるのは当然だ。
クルマ雑誌はさらに「若い世代のクルマに無関心」という要素が加わってもっと深刻だ。これも仕方ないよね、メーカー側は将来の顧客である若い世代を、クルマが好きになるように育ててこなかったんだから、「嫌消費世代」を作ってしまったんだからそのツケが来始めただけ。
「若者はいつの時代でもバイクやクルマに興味を持つもの」と思ってでもいたのかな・・

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作戦としてもよくないと思う

先日、知り合いからぼくが「唐沢氏を追いつめている」と言われて驚いてしまった。
もちろん、ぼくの日記からそう取れたならば、それはそれで仕方ない。読み手がどう受け取ろうが自由である。ただ、そう取られてしまった原因は自分の文章力、伝える力があまりにも稚拙だったということでちょっとブルーだ。

というのも自分はずっと「自分も含めた編集者の責任」ということを書き続けて来たつもりだったからだ。追いつめるどころか、唐沢氏ばかり追求しないで、もっと編集者を追求すべきだとさえ思っている。だって唐沢氏の原稿にOKを出したのは担当編集なんだから。なので、ぼくの立場としては追求なんてそんな大それたこと、こっちだって追求される側なんだから。

それからよく言われたのが「もっと酷くていい加減なライターはたくさんいる、唐沢氏がここまで叩かれるべきなのか」という意見だ。これに関してはガセ&パクリについては確かにそうだろう。検証されてないだけでもっと悪質な例はきっとたくさんあるだろう。だけど、唐沢氏に関してはそれ以外、漫棚通信氏への誠意なき対応も含めての批判だろうと思うので、ちょっと事情が違うかなと思う。

ただ、これに関しても、弁護士を立てての法的な解決を図るより前に、もう少し当事者同士でできたことがなかったのかと思った。会社対個人では圧倒的に個人が不利だ。すぐに法務に回されて「これ以降は弁護士から連絡させます」というやり方では、資力で劣る個人ではまず勝てない、ほとんどがあきらめてしまうか、適当にまるめこまれてしまう。そうなるとその怒りはブログ等で発散するしかない。これは唐沢氏の場合非常によくないパターンだ。唐沢氏の問題を扱うとぼくのブログで大体1500から2000程度のPVがある。これはおそらく唐沢氏の著書の実売数を考えると、かなりのパーセンテージを占める数字だろうと予想される、半分以上だろうか。つまり唐沢氏の本来の読者はこういう話題にとても関心があるということだ。となるとそれだけの数の読者を失うことになり、モラルだけでなく作戦としてもよくないのである。やっぱりこれも編集者の問題だ。本でトラブルが起きた時は、著者に代わって出版社が対応する。唐沢氏の読者があまりこういうサイトを見ないのであればまた違うのだろうが、かなりの数かぶっていると思う。誰がこれだけ問題を指摘されている著者の本をお金を出して買うだろうか。

もう少し担当編集はこの現実を直視して行動してほしいと思う。

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誰もがやっていることなのか?

前回書いた件、メールを頂いた本人に許可を取ったので一部転載します。

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「コピペ&改変して原稿にしている」に関しては、多くの書き手がやってると思うんですよ。だからその分までソースを探し当てて「またやってやがる~」とたたかれるのは唐沢さんがかわいそうだと思いますね(もちろん、ネット上の情報じゃなくてすべて第1次資料に当たるのが望ましいんでしょうが、雑誌の原稿ですべてそれをやっていると、時間もかかるし、原稿料に見合わなくなっちゃいますもね)。
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この方は編集者だけれど唐沢氏の担当ではない。だから直接の利害関係もない立場からの意見だ。一部抜粋なので、この部分だけが全てであるかのように思われると少し違うのだが。この編集者氏は「みんなやってるからいいんだ」という肯定論よりも「ちょっと気の毒ですね」といった同情論だ。

確かに多くの書き手がやっていることを、まるで唐沢氏だけがやっているかのように言うのは気の毒という感じはする。スピード違反で捕まったからといって、スピード違反が罪なのは動かないことだが、でも印象としてはさほど悪い人に思われないのと同じニュアンスなのだろうか?

そうであるならば「コピペ&改変して原稿」が雑誌界ではさほどめずらしくないということが何かのカタチで証明されなければいけないが、それについては自分は具体的にチェックしたことがないので実態を把握できていない。以前にも書いたがもらった原稿の「コピペ&改変」など調べてないのだ。ただ「いるだろうな」とは思う。その理由として適当な仕事をするライターというのは多いからだ。例えば取材もしてないのにネット等で調べてそれっぽくやっつけてしまうライターはいる。そのような職業倫理の低いライターは存在するのだ。編集者やライターはとくに資格が必要とされる職業ではない、名乗れば誰でもできる仕事だけに、そういった職業倫理の低い者が混じってしまうのは残念だ。編集者にも明らかなパクリ企画を平然とやる者だっているし。

しかし、編集者氏の転載部分の最後「雑誌の原稿ですべてそれをやっていると、時間もかかるし、原稿料に見合わなくなる」という部分も重要である。例えば原稿料がもともと極安の上にさらに叩かれ、ろくにディレクションもできない編集者の気まぐれにいつも振り回されているような下受けプロダクションのライターが、作業分とギャラと締め切りとを考えて、次から次へと作業を流していく過程で「コピペ&改変」という場合もあるだろう。仕事全体が構造的に「安かろう悪かろう」になってしまっているパタンだ。

つまり、こういった特殊なラインまで当てはめてしまえば、唐沢氏にも同情すべき点はあるだろう。しかしその人の名前でたくさんの著書が出せるようないわば「恵まれた環境」(これは事実として書いているのであり、その環境は唐沢氏本人の力で作ってきたものであることは認めなければならない)にあるものが、「コピペ&改変」ではやはり残念だと思う。

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仕事についての評価なのだが

この日記を読んだ方からの感想の中には、「唐沢氏だけが悪いわけではない」といったメールもある。
こうしてオープンなカタチで意見を発表すると、そういった自分には思いつかなかったような側面からの捉え方も発見できて、そのことは素直に嬉しい。結果として自分の見方が偏っていたということもあるし、考え方にも広がりが出る。
……ていうか、もともと自分は唐沢氏だけに責任があるのではなく《自分も含めた編集者の責任》と、ガセや盗用が生み出されるシステムを検証するのが目的で、唐沢氏個人を云々という趣旨で書いたはずではなかったのだが。多少「迷惑」呼ばわりされたことで「それはないのでは」とも思ったが、基本的には個人攻撃が目的ではない。「ライターと編集者」というもっと大きな問題について提起したかった。でも「仕事」について評価が出るのは当たり前のことで、精度の低い仕事を発表すればマイナスのリアクションが出るのも当然のことだ。それは本人のパーソナリティとは関係のない部分。(しかし盗用はちょっと違ってくると思うが)
さて、冒頭で書いたことについては、メールを頂いた本人に許可を取ってから転載したいと思う。

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校正と校閲

前回の続き、ライターから送られた原稿がどうなるかだ。
原稿が送られてくると、まず担当者が目を通す。その時点で大まかな内容の確認(注文と合っているか)と文字数の確認をする。
それから校正をするわけだが、大抵は「てにをは」のチェックや変換ミス程度のチェックしかしない。あとは差別用語のチェックかな。
なんでかというと、まず「書いてある原稿にウソや間違いはない」という思い込みの前提があるからだ。「だってこっちはそのために金払ってるんだから、いくらなんでもきちんと調べてるでしょ」ということだ。さらに博識の唐沢氏の原稿にガセがあるなんて思ってもいなかった。つまり最初から校正だけで、そもそも校閲をしようとはしていないということだ。校閲の目で読んでない。だから仮に(いや、仮じゃないか)「ロバート・ケネディ大統領」という文字が出て来ても校正の目だとスルーしてしまう。だって字としては間違ってないから。
『フィギュア王』のワールドフォトプレス社は雑誌ということもあるが校閲は通してない。編集部で回し読みして、読んだ人がサインして、サインが3つになったら「3人が目を通した」ということでそれで終わりだ。(現在は分かりません)編集部の中には校正を適当に流してる「ザル」と呼ばれる者もいて、単純な変換ミスさえも見逃してしまうこともよくあった。こんなだからガセの発見なんて夢のまた夢である。
これが中堅以上の版元になると、校閲も通すようになるからガセの確立はぐんと減る。ちなみに『新UFO入門』は校閲通してます。唐沢氏の原稿にガセが多いのは、弱小出版社が校閲を行っていないのが原因のひとつだ。校閲はそれだけでプロの職業として成り立っている仕事で、比べればはるかに知識の乏しい編集者に校閲を望むのは無理だ。しかし、これでも、校正、校閲が完璧に行われたとしても盗用を見抜くのは不可能だ。盗用した文章に間違いがなければどっちの目にも引っかからないのである。検証班氏のように、最初から「何かあるのでは」と疑いの目で調べていかないとダメだろう。検証班氏が凄いのはその校正・校閲・盗用チェックの作業を、それもあのスピードで行っているというところだと思う。彼の検証作業を「素人レベルでもこれだけ出来るのに」などと言ってはいけない。アタマの中に相当に蓄積されたデータと校閲のセンスがないとなかなかあそこまでの検証はできないと思う。少なくともそのへんの編集者には無理でしょう。

というわけで、このようにしてガセやパクリの原稿が出版物となり世に出てしまうのである。

さて、そんな中でも実は早くから唐沢氏のガセを指摘していた人物がいた。それは友人でもある町山智浩氏である。
以下は2000年ごろの自分と町山氏との会話だ。印象的なやりとりだったので忘れていない。
町山「あのさ、唐沢のこといつまで使ってるの、あいつの書いてることってガセばっかりじゃん」
額田「そうなの? オレ気がつかなかったけど」
町山「だってあんなウスいヤツいないぜ」
額田「それってさ、町山さんが濃過ぎるんだよ。町山さんから見ればどんな人だってウスイって。とくにうちの雑誌の場合は濃過ぎては逆にダメなんだよ。そういうのを分かってて唐沢さんは書いてる部分もあると思うよ」

当時は柳下氏と唐沢氏とのケンカがあったので、そのへんの恨みもあり、こんなこと言うんだろうと思っていた自分のマヌケさ加減が恥ずかしい限りだ。結局自分にはガセを見抜くことはできなかった。


ところで、今日、唐沢氏の担当編集者の一人とコンタクトを取ることが出来た。
想像以上に唐沢氏の業界内での評判が悪いことに驚いていた。「そんなこととっくに分かってたんじゃないの?」と言いたかったが、担当ですらこれだから、まだまだ唐沢氏の置かれている状況を知らない人はたくさんいるのだと思う。

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原稿を発注する理由

ネット流行語大賞2009の銀賞は「どうしてこうなった」だが、しみじみとこう思っている人はいるだろうなあ。

さて、自分は編集者なので一連の唐沢氏の件を編集者の立場から「どうしてこうなった」と考えてみたい。但しあくまでもこれは個人の意見だから、他の編集者にも当てはまるわけではない。自分は自分なりの立場から過去の反省をこめる意味でも問題発生の過程を報告しようと思っているだけだ。

まず気のせいかもしれないが、最近「編集者は何やってたんだ」という意見がなんとなく増えてきたように思える。上がって来た原稿に最終的にオーケーを出すのは編集者なんだから、何度も書いてるが責任は重大だ。これについては唐沢氏も「オレばかり責めるな」と少しは言ってもいいと思う。ただ逆に原稿がよかった場合も、どんなに編集者のサジェスチョンがあったとしても編集者はあくまで黒子で、書き手が「素晴らしい」と賞賛されるわけだから、悪かった場合も比重としては、書き手の方が多く責められるのは仕方ないと思うけど。

話がそれた。「どうしてこうなった」かだ。まずよく話題になっている「なぜ編集者は唐沢氏に仕事を出すのだ」という質問に対して。雑誌の場合だが、唐沢氏は編集者からすると非常に頼みやすいライターだったと言える。それはなぜか。

まず基本的に仕事を断らない。知名度のわりにはけっこうスケジュールがタイトでも書いてくれた。どうしても本をある程度の数出しているライターだと、ライターというよりは著者という呼び方になり、編集部内での扱いもランクが上がってくる。小さく「Text by Hisanori Nukada」なんてよりも、もう少し大きい字で「文・唐沢俊一+プロフィール200字」なんてのが格が上だ。そうなると「このスケジュールじゃ頼み辛いな」ということになる。でも雑誌はいつも時間はないから「ちょっとここは署名原稿が欲しいな」という時に仕事を断らない唐沢氏は実に都合がよいのだ。実際、唐沢氏と同じくらいの知名度の作家の場合、締め切りがタイトだと断られることも多々ある。

第二に、ジャンルが限定されない。オールマイティに何でも書いてくれた。

第三にギャラのことで文句を言わない。自分は原稿料のことで唐沢氏から文句を言われたことは一度もなかった。大手ではない出版社だったので、高い原稿料は払えなかったにも関わらず。

第四に、話が早い。電話で「あーそういう内容ね、はいはい」とすぐ済む。

主に以上のような理由から「困った時の唐沢さん」という感じで原稿を頼んでいたことが多かった。あとは連載のコラムもあったけれど、これはもっと簡単で締め切りを毎回メールするだけ。編集者は何かと雑用が多くよく分からない忙しさで、こういう言わば「手のかからない書き手」というのはとても重宝していたのだ。しかし振り返ってみると、実に自分はラクをしようとしていたんだなと感じる。その根底にあるのは「知らない人だとなにかとめんどくさいから頼みやすい人に頼んじゃえ」という安易な考え方だったのだ。それを「時間がないから」という言い訳で肯定していたのだった。

次回は問題の核心、原稿がアップした時の編集部内でのチェックシステムについて書いてみたいと思います。と言っても凄い重大な秘密があるわけではないが。

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ネタの使い回しについて

検証班氏がブログの中で、唐沢氏のネタの使い回しについて書いている。
http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/

この件について編集者という視点から見ると今回はまあ・・悪いとは言えない。通常の場合原稿に関しては「未発表のもの」というのが条件であるが、ネットにUPされている本人の毎日の日記は、これには相当しないと考えられる。
おそらく唐沢氏からしたら、日記の記述はコラム用のネタのメモ書き程度の位置づけなんだと思う。ネタを出す時に「今月は何があったかな」と読み返してテーマを決める。事件を見て感じたことなんて、すぐに書いとかないと忘れてしまうから、そういう意味ではメモ代わりの日記から書き足して原稿にする作業は理解できなくもない。

しかし、これを読者への気遣いという点から見るとどうか。例えば雑誌においては「抜き刷り」と言って、記事のある部分だけを別に印刷して販促用とかで配ることがあるのだが、編集部ではその解禁を次の雑誌が発売されてからにしてもらっている。つまり12月号に載った記事の抜き刷りを配るのは1月号が出てからということだ。これはお金を払って買ってくれた読者への配慮である。自分が金を出して買った情報が一部とはいえ無料で配られてたらイヤだもんね。実際検証班氏も「がっかりした」と書いている。

だから唐沢氏も無料の原稿を有料の原稿より先に出してしまうのは、有料で読んでいる読者への配慮が足りなかったと思う。その人のファンであれば、大体はその人の他の原稿も読んでる確立は高い。ましてや無料で読める日記なんてかなりの数が読んでると思わなきゃ。いくら自分の文章であってもコピペはよくないです。

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直せない原稿なんてない

先日の唐沢氏に関する日記「そんなに迷惑でしたか・・」について、同業者から何通もメールをもらいました。その中には永山薫氏がTwitterで
>額田氏は善くも悪くも「絶対的に担当している著者を守る」編集者だった。
と書いていると教えてくれたメールもあった。ある程度のこうした反響があったので、このことについてもう少し書いてみようと思う。

永山氏には、自分が『フィギュア王』時代に、唐沢氏がコラムで永山氏の著作を出典を明記せずに引用したことで謝りに行った記憶がある。けっこう怒られたなあ。「なぜ唐沢は来ないのか」と詰め寄る永山氏に「この件は明らかに編集者のミス、だから自分が来た」と説明する一連のやりとりの中で「そりゃあ編集者は著者を守りますよ」と確か答えたことを覚えてる。今から10年以上も前の出来事だけど、でもこの考え方は今でも変わってない。ただ「守る」ということの意味は、何が何でも北朝鮮的に「先生様マンセー、アンチがこんな誹謗中傷をしているのであります」ということでないのは説明するまでもないだろう。

ところで、残念なのは唐沢氏の編集担当者からのアクションが何もないことだが、でもこれは理由が二つ考えられる。主な理由と思われるのは自分のこの発言をみんな読んでいないということ、つまり「そんなブログなんて知らねえよ」と。もう一つはサラリーマンなので、発言が制限されている、ということ。いま「仕事の内容に関して無断で外部に発信するな」ってうるさいから。自分のこの発言を「勇気あること」と評してくれる人がいて嬉しかったけれど、自分は現在フリーの編集者。何を言ってもそれで会社から怒られるということはないので、立場が同じではないよね。

でも今回の件は「編集者の仕事、その範囲、立ち位置」というものについて、自分の中でいろいろ考えさせられるいい機会となっている。編集者は例えどんな大先生の原稿であっても“直す権限”を持っている。直せない原稿なんてない。だからやっぱりその結果についても責任を持たないといけないし、上がった疑問や指摘に関して黙秘権はダメだと思う。

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エスクァイア、セブンシーズ休刊

歴史も格もあるメンズマガジンの総合誌『エスクァイア』が休刊になった。
いま関係者が復刊サイトを立ち上げたりと、なんとかがんばっているようだが、
http://foreveresquire.seesaa.net/
これは理念の問題ではなく、カネが問題なので「由緒ある本だから失くすのは
惜しい」といったようなエモーショナルな意見では、現状打開は難しいだろう。
今までバックにいたのはTSUTAYAだけど、どこか新しい出資者が見つかれば
いいと思う。ただ、このような“広告主導型”の本作りはもう限界だと思う。
この手のビジネスプランではいまは絶対に版元を説得できない。
同じような理由で、やはり休刊の発表となった『セブンシーズ』も時代の流れと
はいえ、残念だ。
石川次郎さんがやっていた時から大きく変わって、今は『タウン&カントリー』誌と
提携するなど、女性向けに舵を切っていたようだが、このイヤな流れに逆らうこと
はできなかったのだろう。
相次ぐ休刊で、市場には編集者やライター、カメラマンなどが溢れている。

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